ブログの新規立ち上げって、結構根比べなんですよね。Googleとの。

Googleがブログをハッキリとインデックスしてくれるのが、大体3ヶ月くらい時間が掛かると言われているので、それまでの間は検索エンジンからの流入が見込まれない期間です。

もちろん、今のような記事だと3ヶ月後でも検索エンジンからの流入は期待出来ない部分はありますけれどね、ちょっと絞り込みが浅すぎるので。

 

でも、今の「ビューが0を更新し続ける」という状態は、多分ではありますが3ヶ月後には解消していると思います。

一応、小説作法の記事とかは出来るだけしっかり、役に立てるような記事を目指して書いてもいますし。

そこだけにでもアクセスが来てくれれば嬉しいんですけれどね。他の記事はある意味賑やかしな感じですが。

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小説の作法は、小説家の数だけありますが……

小説って基本的に自由なものです。ですから、小説家を名乗る人の数だけ、小説論があり、持説があったりします。

私には私なりの持説があるので、それをこのブログで展開している訳ですが、これも勿論絶対的にこう、という内容ではありません。

 

ただやはり「外して欲しくない部分」というのはあります。「人称とカメラワーク」でお伝えした、小説内でのカメラワークの問題とかは、これを外してしまうとトンデモナイ小説もどきが出来上がってしまうので、出来る限り外して欲しくは無い部分です。

 

とは言え、やっぱり小説って自由なものでして、そんな『これは外せない!』という部分を破壊してこそ新しい小説の枠組みが生まれる、という事だってあり得ます。

一部ラノベの圧倒的支持なんかもそうですが、既存の小説の枠組みを徹底的に破壊し、マンガに近い表現だったりアニメに近い演出だったりを入れる事で、どんどん伸びているのがラノベの分野です。

私自身ラノベは「読んでて苦痛」と感じる方なので殆ど読まないのですが、何冊か読んだ時の「破壊力」には驚きました。小説であって、小説で無い。そんなものを眼前に突きつけられた思いでした。

小説だからって、堅く構える必要は無い。

いざ小説を書こうとすると、堅く構えてしまう人が多いんですよね。白紙の原稿に向かってウンウン唸る、という様な調子で。

ですが、読者さんが求めているのはあくまで「読める完成稿」ですので、悩んでいるうちに書いた方が得策なんです。

未完の大作は、誰も求めていません。求められるのは、完結したものです。短編であろうが掌編であろうが。

 

この辺り上手く切り分けが出来ていないと、「小説家になろう」サイトに山ほどある『連載もの』に逃げてしまうんですよね。

連載ものにすれば、都度読者からのフィードバックが得られて気分も良いです。モチベーションも維持出来るでしょう。

けれど、一貫したストーリーを「連載」で区切ってしまうと、どうしてもその区切り目の時のユーザーズボイスが作品に混じります。

そうなってしまったら、もうその作品はあなた固有の作品ではありません。読者との共同作業小説です。

 

無論、そういったスタイルで行く、というのも選択肢ではあるのですが、そればかりに慣れていると、いざ完成稿を作ろうとした時、必ず躓きます。

ですから、まだ初心者のうちから、小説は必ず完結させてから世に送り出す、というのを習慣づけた方が良いのです。

 

堅く構えず、多少ミスがあっても良い。けれど、完成させる事が何より大事。そんなところです。

小説が出来上がるまでの苦労と喜びについて

既に執筆している方からすれば当たり前の話ですが、小説執筆には苦労は事欠きません。

まずはプロットや登場人物の作成に一苦労、それが出来たら小説冒頭部を作る苦労、それから章毎に雰囲気を変える為の苦労、エトセトラ、です。

 

それらが全て、1つ1つクリアされていって初めて「完成稿」が出来るのですから、小説家というのは苦労が絶えないと言っても過言では無いと思います。

 

そんな「小説家道」を、あなたは歩もうとしています。または既に歩み始めているかも知れません。

いずれにせよ、小説執筆には沢山の苦労があります。でもそれにも増して、喜びが大きいので、続くのです。

 

完成稿が仕上がった時には、それはそれは凄い達成感を得る事が出来ます。これは短編でも掌編でも同じです。

セルフ校閲を完全に終えて脱稿し、それを印刷するなりサイト投稿した瞬間に、ブワッと喜びが溢れます。

この喜びというのは他に代えがたい魅力があるので、小説書いていて苦労続きであっても「続く」のです。

 

また、小説世界を描いている最中に得られる喜びもあります。

事件があったり、事故があったりと、小説の中では色々なアクシデントが起こります。そしてそのアクシデントを「どうしていくか」の決定権限は、全て筆者に委ねられます。

事件事故で皆殺しにしてしまうのも小説家の自由ですし、博愛主義よろしく全員無傷でハッピーエンドまで持ち込む、というのも著者の裁量です。

それら全てをコントロールする喜び、というのが、書いている時の喜びでもあります。

 

私が特に感じる喜びは、小説の中で発生する恋愛事象についてです。私の書く恋愛は割と青春的な色合いが強いので、ちょっとだけリアリティーからは外れます。

そんな、半ばファンタジーな恋愛事象を扱っていると、双方のキャラの「思い」が著者の心に映り込むんですよね。それで、こっちまでドキドキしてしまう。

ドキドキした末に、バッドエンドを置くも良し、ハッピーエンドを置くも良しです。主人公を絶望に追いやる事も、小説家の仕事だったりします。

 

後は、人の生死が関わる問題です。小説家に倫理観を求めるのはそもそもお門違いですので、小説家たるもの倫理に足を取られる必要はありません。

どれだけ人倫に反する事であっても、小説世界であればそれは「表現」です。憲法の保障する『言論の自由』というものに守られた、れっきとした権利なんです。

だから、作中で不倫だのそれが元で殺しあいだのあっても、OKなんです。昼メロなんてまさにその世界ですからね、あれはテレビですけれど。

但し、苦労して書いた作品が必ずしも良い作品とは、限りません。

ご自身がどれだけ苦労をして書いた作品であっても、その作品を評価するのはあくまで読者さんです。

読者さんが「これはダメ小説だ」と言ってしまえばそこまで。勿論1件の評価で落ち込む必要はありませんが、複数の評価がダメと一致するものは、結局ダメな小説です。

 

ただ、ダメな小説を書いてしまったら、何故ダメなのかを徹底的に分析することが大切です。

読者さんの意志、気持ち。どういうところで「ダメ」と判断されたのかを、頂けたレビューなどから解析していきます。

場合によっては星の数だけで評価されてダメとされるケースもあり得るので難しいですが、とにかく読者さんの声は絶対です。

 

何がダメだったか、よくよく探してみると、実は一番苦労した思い入れのあるシーンが元で全部をダメにしてしまっているケースというのが多々あります。

思い入れがあるシーンというのは、どうしても筆が分厚くなります。どんどん書き込んでしまう。けれど、そこだけ重厚に書かれていて後はアッサリ、ではバランスが悪いのです。

 

全編を重厚に書くと、これはこれで読者さんを選ぶタイプの小説が出来上がります。思い入れのあるシーンについては、出来れば

 

書いた翌日に見直す

 

というのを実践してもらいたいと思います。客観視が出来る様になるので、それで「うわっ、これ恥ずかしい……」という様なミスを捜し当てる事が出来ます。

まさかとは思いますが、書いたら書きっぱなしで校閲しないなんて事はないですよね? 小説の校閲は絶対に必要です。

 

で、基本的にはですが、校閲パートに入ったら、どんどん表現を削り込む方向に流れると思って下さい。

加筆が重なる様であれば、まだあなた自身がしっかりとした客観視が出来ておらず、校閲になっていません。

私自身が校閲をするときには、原稿をレーザープリンターで打ち出して、それに青色ボールペンでどんどん指示・改訂をしていきます。

初回の校閲なんて、大体誌面は真っ青に染まります。それ位、小説家脳が打ち出す文章と、校閲者脳が良しとする内容には乖離があるのが普通なのです。

 

ですので、まずは熱い熱い小説家脳で一気に書き上げて、今度は冷徹な校閲者脳でザックリバッサリと切り刻んでいく。

これが出来るようになれば、小説家としてひとまず活動できる様になったと思って頂いて良いかと思います。

 

まぁどうしても冷静になれないタイプの小説家さんであれば、校閲は第三者に投げてしまっても良いかも知れません。

親しい友人や家族など、自分とは視点が違う相手に見てもらう事で、自分では気付かなかった「手落ち」を見つけ、「表現のクドさ」を気付かせてくれる事も往々にしてある事と思います。

 

理想を言えば、自分で作文、自分で校閲、です。

 

いずれにしても、小説家脳と校閲者脳とはまるっきり別の脳の様な動きになるので、全員が全員そういうロールが出来る訳ではありませんから、無理はしないことも大切かも知れません。

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小説家として目指す道とは。

何も、誰もが新人賞を獲りましょうというのを目指して話している訳ではありません。マーケットは、「小説家になろう」などのweb小説サイト、コミケなどの二次創作メインのマーケット、そして商業小説の中でも紙媒体とKindleの様な電子書籍(自分で自由に出版出来る)もまたあり、多様性に満ちています。

 

ですので、小説家になるなり方それ自体は、その人それぞれの「満足のいく仕方」で良いのです。

富が欲しいのか、名声が欲しいのか、ファンからのメッセージが欲しいのか。それらによっても変わってくる事でしょう。

 

今あなたが、小説を通して実現したい夢って、なんですか?

この端的な質問に、どれだけ一貫性のある答えを言い続ける事が出来るでしょうか。

夢は、常に形を変えるものです。ですので都度その夢の形が変わっても悪くは無い。

けれど、変われば変わるほど、実現可能性は低くなります。一貫した意志と努力こそ、夢への第一歩です。

 

因みに私の場合は、名声ですね。自分のアイデンティティーとして、自分は小説家でありたいのです。

副賞の金銭とかもまぁ魅力ですし、商業出版したらしたで印税とかも楽しそうですが、それより何より、

 

自分は小説家として生きています

 

と堂々と言えるようになりたい、という思いが、自分を小説の道に立たせています。

ですので、今の日本の現状ですと、Kindleから芥川賞は出ませんので(笑)、取りあえず小説新人賞を目指す、という方向性になる訳です。

 

これまで、あまり自分の小説の属性とか考えずに新人賞応募していたので、というのもあり、落選続きでした。

けれど今度こそ、という思いはいつも心にあります。ただなかなか、遅筆なので「どんどんチャレンジ」というのが難しいのがネックです。

遅筆なのもまた、治すべき要素ではあるのですけれどねぇ……遅筆治す特効薬とか欲しいところです(苦笑)。

 

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