今回は、独学(主にネット上や書籍でもって学ぶ)で小説の書き方を学ばれる方に、出来るだけ役立つ内容をお届けしたいと思います。

ただ、私のブログでしかないので、結局私の意見です。全ての意見は疑って掛かれ、というのは大原則ですので、私のこの記事も、幾分疑って掛かった方が良いかと思います。

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ブログが書ければ小説は書けるのか? 小説の「リアル」

世の中見渡せば、たくさんの「ブロガー」の方がいます。ブログ、というプラットフォームで様々な発言をされ、有名人扱いされている方も多数おいでです。

一見すると、ブログも小説も文章を綴っているのですから、似通っている様に見えます。また特に、面白いブログは大抵創造性豊かな内容ですので、一層小説との線引きが難しい状態になります。

 

では、ブロガーさんは小説書きになれるものでしょうか?

答えは、私はYesだと思っています。ブログに精通すれば、今のラノベ全盛の世の中であれば、小説も書けますしデビュー自体も難しい事はないでしょう。

 

これはどういう事かと言うと。要するにブログであろうが小説であろうが、エンタメ系であれば「人を楽しませた者勝ち」なんですよね。

だから、ブログで人を楽しませる=読者がたくさん集まる、というような図式が出来ているのであれば、そのプラットフォームをブログから小説に移行したとしても、既存ブログ読者はついてくるでしょうし、更に新規の小説読者も惹き付けられると思うのです。

 

私の場合、ブログでの発言力はそもそもあまり強くありません。というか昔やってた専門性のあるブログですら月刊6,000PV程度でしたので、あまりブログ記事で人を楽しませる、という事は向いていないのだと思います。

でも、私は小説を書きます。小説という土俵にあっては、そう簡単に負ける気はしません。勿論パワー全開で「1から10まで」書き切った作品であれば、という前置きは必要ですが、そこまで容易に敗北を喫する事は無い、と自負しています。

因みに今は、新しいペンネームで活動し始めて1作目が出せたばかりです。残念な事に1作目は、最後の方で激的に失速してしまって、パワー全開とはほど遠い出来になってしまいました。

 

一度投稿した作品は、基本的に大修正を掛ける事はしません。これはこれ、過去ログだ、という意識からです。

もちろん読み手からすれば、改訂新版が出るのは良いことなのかも知れませんが、書き手としては、やはり失敗は失敗として潔く認める事も必要かと思っています。

 

ブログ、という土俵。これは非常に難しい土俵です。

やもすると、「2018年版! Firefoxからchromeへの完全移行ガイド!」みたいなハウツー記事ばかりになってしまって、アクセスは来るし人の役には立つけれども、それで「主張は何?」と言われたら沈黙せざるを得ない状況になる、という方がたくさんおられます。

 

ブログは「あなたのメディア」なんですから、自由に発信して良いはずなのに、ついアクセス数を稼ぎたくなってそういう記事を書き出すと、確かにアクセスは集まるのでそれがやみつきになってしまいます。

無論、あなたがギークな方で、そういう内容こそ「俺の全てだ!」と仰るのであれば、それは個性とマッチしていますから良いでしょう。けれど、小説書きたい層とは微妙に異なってくると思います。

 

そういう意味では。

確かにブログで大成してそこから小説世界へ入る事は可能なんですが、決して生やさしい道では無い、という事も頭に入れておくべきだと思います。

初めから小説ありきでスタートする場合|プロットとか、登場人物とかetc...

小説新人賞なり小説サイト投稿なりで、「まず小説ありき」で活動される場合には、当然のことですが小説を形作るパーツ作りから全てはスタートします。

ここはかなり個人差が出るところで、設定資料集から作り始める方も、プロットから入る方も、はたまた全ての会話文を出してスタートされる方もお見えです。

 

で、どの手法がベストか、という回答は、まず無いんです。結局「その人に見合う方法が一番良い」という結論になるので、絶対的な解がある訳ではありません。

ただ、言える事としては、あまり細かい設定ばかりに気を取られていると『伝わりづらい小説』になりますし、プロット無しで挑むとストーリーが発展しないで苦しむ事などもあります。後者の失敗を、『いまの踏み絵』で私はやらかしました。

 

独学で小説を学ぶのであれば、何よりまず書くことです、小説を。これ以外に上達の道はありません。

好きな作家の小説を読み込む、という手法が意外と勧められているのですが、私はこれは推奨しません。

その作家が好きであればあるほど、あなたのオリジナリティーは削れていって、その作家さんの劣化コピーに成り下がるからです。

 

オリジナリティーというのは、あくまでその人、いわば「あなた」の人生そのものです。あなたが生きてきて感じた主観、それがオリジナリティー全ての根幹であり、源泉です。

そこに、幾ら大好きな作家さんであっても、エッセンスを加えてしまうと水が濁ります。ピュアな「あなた」という水を活かす事こそ、長期的に見てあなたの小説がぶれずに済む方法なのです。

 

ただ、1冊も小説を読んだことが無い、という状態で小説を書くことはあまりに無謀ですから、古典等を読んでみる(冒頭10ページからでOKです)のは良いと思います。

例えば私は、書き始めの勉強にと、先日学生時代ぶりに『吾輩は猫である』の冒頭部を読みました。さすが古典名文、切り口がとても上手くて唸りました。

そういう形の「読書」であれば、良いんです。エッセンスを拝見する、という様な姿勢であれば。エッセンスに染まる、これダメです。

 

で、いざ書こう、と。

 

そうなったら、私としてはまずプロットと登場人物のあらましだけは書きましょう、と言います。

登場人物が決まらなければ世界観も決まりませんし、何人登場させるかによって小説の予定する長さも変わってきます。

 

例えば登場人物2人の小説であれば、掌編から長編まで工夫次第で行けますが、8人とか登場するようであると、中編からのスタートになります。

これは、それぞれの登場人物が「生きる」為に、それだけの文章量が必要になるからです。

単にモブの様な出し方をするので無ければ、書き込む必要がありますし、ストーリーに組み込む必要性も出てくるので、人数が多ければ多いほど、小説本体も長くなっていきます。

 

粗々登場人物が定まったら、次はプロットです。但しこの段階でのプロットでは、厳密にガッチリ、というのは辞めた方がベターです。

ある程度緩いプロットというか、ストーリーを動かす余地のあるプロットを組んでおくと、登場人物が不意に名文を吐いて一気にストーリーが展開した場合でも、ある程度対応が出来ます。

 

基本的に、小説というのは動的なもので、著者がレールを敷いても必ずしもそれ通りには進みません。

降ってくるようなインスピレーションでトンデモナイ方向へと進むものです。

そして、大抵にしてそのインスピレーションこそ、ストーリーを大規模に展開させ小説を面白くしてくれる要素でもあります。

 

ですから、プロットは若干緩めに作ること。これが1つのコツでもあります。

ではプロットで何を決めておけば良いのか?

じゃあプロットは何を書けば良いのよ、という話になる訳ですが、プロットは基本的に、スタートからエンディングまでの「一応の」流れを書きます。

私の場合には、ある程度区切りの良いところでプロットも止めますが、一般的にはストーリー全てのプロットを組む方の方が多いような印象を受けています。

 

プロットでは、どの登場人物にどういう名ゼリフを言わせて場面転換するかとか、どういうアイテムで世界を動かすか等、様々な事を書きます。

端的に言ってしまうと、印象的な人・アイテム・場面というのを網羅的に列挙しておくのが、プロットだと思って下さい。

文章体でプロットを書いても良いんですが、その文章には縛られない事が大切です。ストーリーが進むに従いキャラに命の灯が灯ると、いきなり想定外の名ゼリフが飛び出してくる事もあります。文章体プロットではそのセリフに対応が出来ません。

 

私の個人的な方法としては、場面に於ける設定資料集、というような形でプロットを書きます。

場面と場面の繋ぎ部分に当たるところはある程度空白の余地を残して置いて、場面転換のキーになる部分に対してアイテムを置いたりセリフを置いたりして固定化を図ります。

こうする事のメリットは、「ここ決めたい」という著者の意志が強く働く場面以外は、キャラクターが自在に動いてストーリーを構築してくれる事です。

 

まだ学び始めの方にとって「キャラが自在に動く」という感覚は理解しがたいかも知れませんが、それについては次に述べます。

キャラの自由意志を残しておくことで、小説世界は俄然リアリティーを増します。活きた小説を書くには、設定上の空白は重要なのです。

キャラクターが自在に動く、って一体どういう事なの?

さて、キャラクター。自在に動いてくれます。これは断言します。

これ実際にはどういう事かと言うと、まずともかくキャラクターを設定しますよね。そうして、物語の上で動かしていきます。

そうすると、あなたの頭の中で、そのキャラクターが段々根付いてきて、「そのキャラクターらしさ」を発揮するようになります。

 

あくまで自分が創造したキャラクターなのに、何処か違う。元からあったキャラクターの様に感じてくるのです。

その「自分発だけれど何か違うキャラ」は、既に小説世界の中でオリジナルを獲得しています。言葉一つ、動き一つが全て、あなたが創造した時点のキャラとは別物になっています。

 

そのキャラクターは、物語を進めていくときに用いて行くと、ふと予定外なセリフを吐いたりします。

これこそ「キャラクターが自在に動く」というのの正体です。

 

この、自在に動く余地、というのもまた、プロットをある程度緩めに作っておかないとそもそも発生しないので、プロットの段階で規制を掛けすぎない事は大切です。

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エンディングのまとめ方|ハッピーエンドだろうがバッドエンドだろうが、完結させる。

これは私自身のポリシーですので、合わない、と感じられたら無視して下さい。

 

基本的に私は、作品を連載では作りません。全て完結作品として作ります。

これには幾つか理由があって、その理由の中で最も大きいのが「完結しない作品は、単なる作業プロセス」という意識があるからです。

完結した作品を提示する事で初めて、読者さんたちに「これですよ!」というアプローチが出来る、と私は思っています。

 

ただこれも例外というか、私自身が例外作品を次作に用意していたりもします。次作は連載モノになる予定です。

 

元々「読み切り」に限定していたのは、私がコミケなどのイベントで「完成物を売る」事をしていたからです。

例外は無くも無いですが、基本的にコミケなどでは完結作品が売られています。その時代が長かったので、私も完結作品を主眼にしています。

 

で、エンディングのまとめ方。

そうですねぇ……色々なパターンのまとめがあるとは思いますが、例えば10章構成で作られた作品であれば、0.5~1章分の文章量をエンディングに充てる、という位が丁度良いかと思います。

これは文章量の話からの「まとめ方」ですが、例えば別に、キャラクターの後日談をさらさらと書いてまとめにしてしまう、という手法もあると思います。

この辺りどういう手法を取るかは、寧ろ作品それ自体が教えてくれます。しっかり書き切った小説であれば、エンディングを示唆してくれるものです。

 

それでもどうしてもエンディングが書けない様であれば、キャラクターを穏やかな昼下がりのカフェにでも集めて座談会させましょう。

「いやぁ、あの時はどうなるかと思ったよ」

的な内容から入って、ストーリーを振り返らせるのです。こうすると、既にキャラクターは立っていますので、それぞれの立場からの「あの時」がキャラクターから語られます。

 

そして最後に、何か決め台詞を言わせて締めくくるなり、じゃ散会ねー、でそれぞれ日常に戻っていって「了」でも良いと思います。

いずれにしても、どうしてもエンディングで困った場合には、全員集合です。これを使えば、エンディングのまとめで困る事はまず無くなります。

まとめ 孤高の小説家を目指せ!

小説家というと、今では「小説家になろう」サイトなどもあって、孤独とは無縁の様な存在になってきていますが、決して本質的な部分は変わらず「孤高の人」です。

ファンが出来ればその孤高・孤独が埋まる、という訳でもなく、あなたという創造主が作品という創造をし続ける間中、ずっとあなたは孤独なままです。

 

孤独・孤高が嫌ならば、誰かのファンをしていれば良いのです。ファンサイトでファン第○号! みたいなカリスマファンになって、誰かを支えて。

そんな生き方をすれば、あなたは少なくとも孤独・孤高からは逃れる事が出来ます。

 

しかし、そんな生き方で満足出来ますか?

 

小説、という創造の世界のかまどが開いてしまった。

そうしたら、それを見なかったことにして日常を過ごすのは、無理だと思います。

あくまで孤高に立って、小説を作り続ける。それ以外には、あなたのスピリットをケアする方法はありません。

 

創作は孤独・孤高の行為です。それでも負けずに、是非その名を挙げて下さいね!

 

 

 

 

 

 

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