小説世界を描く、という場合、人によって様々なアプローチがあると思います。

例えば、映画の様な感じで情景を思い浮かべつつ描写をする方もおられるでしょうし、文字がどんどん降ってくる様な方もおられるでしょう。

 

私の場合、基本はマンガです。コマ割りされたマンガのページが頭に浮かび、それを文字に落とし込んでいきます。

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マンガ的描写で小説が書けるのかどうか

二次創作やってた時代は、この「マンガ的描写」は非常に活きました。元々の作品があり、その世界が読者さんと共有されているので、ちょっと描写するだけで共通言語の様にして通じ合えたのです。

しかし、オリジナル小説の場合にはそうは行きません。私がタイプする文字だけが世界ですから、小説世界をどう相手に伝えるか、という努力をする必要性があります。

しかも、このマンガ的描写の手法は、なかなかに純文学との相性が悪い。純文学する場合には、割と概念的な事も扱いますから、単に場面だけを伝えても「言いたい事が伝わらない」という事になってしまうケースが多いです。

 

以前私が書いた、エンタメ系長編小説では、マンガ的描写の他に設定資料集を作りました。

どうしても大部になるので、細かい設定などが食い違うのを防ぐため、というのが目的でした。

が、これが裏目に出ます。講評を頂くと、「設定が細かすぎ」という指摘がされました。

更に、身近な人物に自分の小説世界のあり方を尋ねてみると、「確かにそういう方法はあるけれど、描きすぎたら面白くない」という事を聞けました。

 

確かに、私の小説は、海外翻訳物ばかり読んでいたので、かなり説明的なところがあります。何故翻訳小説ってあんなに説明的なのか、とも思います。

そこで私が、新たな小説の枠組みを取り入れるべく読んだのが「吾輩は猫である」です。夏目漱石ですね。

「吾輩は猫である。名前はまだ無い」で始まる有名小説ですが、読んでみると、そもそも主人公の猫がどんな猫なのかすら、読者の脳内に委ねられます。

あくまで猫の視点で世界が描写されていき、そこに面白さがある。単に猫視点であるだけでなく、緻密な観察眼のある猫なんですね。

 

さすがに「吾輩は猫である」クラスの名作が書けるとは、まだ到底思えませんけれど、新しい小説の型として「吾輩は猫である」は非常に鮮烈でした。

描かない事は徹底的に描かない。描くところは鋭くえぐる様に描く。このメリハリこそ、日本の小説の基本形なんだな、と思わされました。

 

マンガ的描写に話を戻しますが、自分の「マンガのコマ割りが浮かぶ」小説の書き方の場合、つい書きすぎる事が多いのです。

何せ、私には場面の全てが見えています。コマ割りと言っても、カメラ視点は自由に変えられるので、360度全世界が私には見えています。

それを、つい、全部書いてしまう。すると説明過剰になって、読んでる側としては面白くないんですね。

これから小説家を目指す方へのアドバイス

今から小説を書こうという方に、私なりのアドバイスです。

現在、ネット小説などでは、いわゆるライトノベル的なものが非常にもてはやされています。寧ろ純粋な純文学を探す方が難しいくらいです。

 

けれど、小説の基本はあくまで「あなたの情熱」と「あなたの世界観」です。

単にラノベが流行っているからラノベで行こう、というのは余りお勧めしません。

 

人により、やはり書ける事・書けない事というのは出てきます。私はラノベは書けないタイプの人間です。

マンガ的描写になるからラノベか、と思ったのですが、書いてみるとあの奔放通り越してシッチャカメッチャカする文体、というのは、私にはとても書けないんですね。ライトノベルは、ノベルというより完全にマンガですから。

 

小説家を目指すのであれば、まずは「自分が何を書きたいか」をしっかり探すことだと思います。

人間関係が書きたいのか、それとも恋愛感情の変遷を書きたいのか。ストレスそれ自体を描写したいのか。

書くための切り口は、それこそ小説家の数だけあります。これを統一・統合する必要はありません。

 

もちろん、ニーズが無い小説を書いても、閲覧数だったり部数だったりは伸びません。しかしこれはあくまで商業的なお話し。

小説家になろうと思ったら、まずは商業ベースから離れて、自分自身のしたい事・書きたい事に真摯に向き合う事が大切です。

 

結局、小説家もまた「世界を違った視点で見る」仕事ですから、独自色というのはどうしても必要になります。

もっとも、別段独自色を出そうとしなくても、書いているうちに大抵は独自色は出ますから心配は要りません。

 

唯一心配なのは、「作家の○○さんに憧れて小説家を目指す」という様なケースでしょうか。

憧れの作家さんがいると、文体までその方のコピーに成り下がる傾向があります。

これ自体は作品数を重ねていけば、その憧れの方を更に超えた作風、というのが出てきますから長期的には心配ないのですが、それでも最初の頃にコピー的文体を身につけてしまうと、その補整・修正がかなり大変だったりします。

私の場合だと、翻訳小説の文体、というのが抜けるまで、かなり苦労をしました。何せ翻訳物と和物は相当違いますからね、そりゃ苦労もします。

 

小説世界を形作るのは、あくまであなたの意識・精神性です。

誰かのコピーを辿る事も、道程としてはあるかも知れません。けれど、そこを突き抜けた所に、新しい「あなたの小説」というのがあります。

 

是非苦労してでも、自分の小説を見つけ、読者の方々を喜ばせて下さいね。

 

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