基本的に、色々な事をしていたりすると、それだけ小説世界に広がりが出るだろうと思っている吉崎です。

様々な事に手を広げると、それだけ「1つの分野を極めることは難しい」という壁にはぶつかりますが、何も知らない世界だらけでは活き活きとした小説は書けないと思います。

 

また、場合によっては「特化したこだわり」がそのまま小説になる、なんて事もありますね。

ピースの又吉直樹さんが芥川賞を受賞されたのも、芸人、という世界観をご自身で存分に体感し、それをしっかり描けたからだと思います。

又吉直樹さんについては、受賞の前と後とでは、テレビ局側の扱い方が非常に変わったと感じています。

まるで『文豪先生』という扱い、かつ笑いも獲るよ、という感じでしょうか。

 

元々プロのお笑いの方なんですが、芥川賞の受賞によって、周りの見方が変わってしまった。

それが良いか悪いかは又吉直樹さん自身の感じ方だと思いますが……

いずれにしても今までの様な「一方的にいじられる役柄」では無くなり、主体的な発言を求められていたりしていると、私は感じています。

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文豪先生になるには?

私も文豪を夢見るオッサンですので偉そうな事は言えませんが、今まで読書してきた中で言える事はあります。

「原稿は、必ず書き上げましょう

これだけです。これだけなんですが、意外と出来ていない方が多いんですよね。

 

敢えて狙って連載作品にしている方はそれで良いんですが、どうしても「エンディングが作れず」にダラダラと連載形式になってしまっている方が、実に多い。

小説というのは、一度世界を与えられれば意外と勝手に広がってはくれるものです。

反面、勝手には閉じてくれません。

拡張する宇宙の如く、広がり続けます。

無限に続かせるのは、決して愛情では無い。実は作者無能の印でもある。

小説を読む相手方の気持ちになって考えれば分かりますが、小説はオープニングとエンディングが必ずあるからこそ、小説なんです。

エンディングが無くダラダラ続ける(故・栗本薫先生の『グインサーガ』の様に、月刊1冊文庫が出るよ、とかだとまた別ですが)のは、読者さんに対して失礼です。

 

どうしてもエンディングが書けない、という方の中には、小説世界に生きる人物を殺すべきタイミングで殺せなかったり、別れるべきタイミングで離別を与えられずにいて、そのまま連綿とした生き方をさせてしまう方が多いです。

もしご自身が「エンディングを書くのが苦手……」という意識がお有りでしたら、まずは掌編で構わないので、とにかく実作を書きましょう。

そして、その掌編の中で、まだあなたの中におかしな慈愛や慈悲が起こらないうちに、さっさと「要らない人物」に死をもたらし、「不必要な関係」に別れをもたらすのです。

 

エンディングを設ける、というのもある意味数稽古でして、何度も書いて書き慣れれば、自然と登場人物をバッサバッサと斬り捨てる事が出来るようになります。

ですが、どうしても初心者さんだとか、またある種の同人誌小説家の方々は、この辺りが弱い。あなたの作品なんですから、どんどん殺して良いんです。

 

もちろん、死ぬべき必然性が無いのに死んでいく、というのはそれは猟奇系とかにはなってしまいますが。

少なくとも「降壇する」機会、というのをキャラクターに持たせてあげる、というのもまた、ある意味でそのキャラクターに対する愛情でもあります。

これ以上このキャラクターは活躍出来ないな、と判断したならば。すぐに「最後の花道」と「引導」をセットでプレゼントし、舞台から降りて頂く。

 

私はそんな意識でもって、小説世界の登場人物に接しています。

当然異論はあるでしょうし、それぞれですので、真逆のご意見もあるかと思いますが、私はそういうスタイルです。

そんなスタイルも、結局「実作の積み重ね」で獲得しました。

私の場合、なんですが、同人誌書いている時はこの「エンディング」を作るのは相当苦手でしたね。

どうしても、キャラクター同士をなれ合いさせていた方が、書いていて気持ちいい。やはりそこは二次創作故の限界がありました。

 

二次創作からオリジナルに場面を移してからも、しばらくの間は「殺せない」症候群にありました。

特に、長編になればなるほど、です。どうしてもキャラクターに愛着が湧いてしまって、死ぬるべきタイミングで殺せないんです。

 

どれだけの方に共感頂けるか分かりませんが……自分が描いたキャラクターが活き活きとしていればいるほど、殺す事が難しくなります。

もっとも、死ばかりがエンディングの構成要素ではありませんが、私の小説の場合「生と死」はコアになってくるテーマでもあるので、そのコアの片割れである「死」をもたらす事は、自分にとっては必然なのです。

 

ですが、とにかく殺すのに抵抗がある時代、というのが長くありました。なかなか殺せない。

殺しかけて、つい生き伸ばしちゃう。そればっかりだから、小説が引き締まらないのです。

 

そんな時代もありましたが、結局それも「実作で殺す練習をする」という努力でもって、克服する事が出来るようになりました。

最初は、当たり障りの無い人物から殺していけば良いんです。次第に、小説コアに関わる人物も、殺しの半径に入れる事が出来るようになります。

本論に戻して:こだわりの生活とは、如何に。

こだわりのある生活、と言うと、何だか非常に難しい事と捉えられる方もおられます。

ですが話は実に単純で、「周りをよく見て生活しましょう」と言うようなのが内容になります。

 

例えばですが、ポストに折り込みチラシが入っていた、と。

普通であればクシャッとしてポイッ、で終わるところを、まずそのチラシ本文をしっかり見るところからこだわりは始まります。

チラシを打った人間は、この商品に対してどれだけの愛着があるのだろうとか、広告対利益は何軒の受注でバランスするようになっているのかとか、色々と見るべきポイントはあります。

 

単にチラシ1枚からも、この様にして「分析」することも出来ます。後ろにいる人、というのを感じ取る事も出来ます。

特にチラシであれば、個人店舗が出しているチラシは要チェックですね。素人の一生懸命さ、というのを感じられる貴重な機会です。

 

また、例えばですが、今飲んでいるコーヒーに少し焦点を当ててみる、というのも良いかも知れません。

 

これは何処産の豆で、どういう経路で輸入された物で、誰が焙煎して、出荷元は何処で……

……で、今あなたの左手近くにあるマグカップにまで辿り着いて、温度はどのくらいだろうとか。

実に見ようと思えばどんな視点でも「物を見る」事は出来ます。普段しないだけです。

 

こだわる、というのはそういう事です。何も無さそうな所に、意味を見いだそうとする行為の連続です。

私も趣味の茶道(一応表千家の茶道講師の資格保持者ですが)で頑張っていた時代は、器の裏だとかをよく見ていたものです。

名椀、と言われる様なお茶碗は当然のこと、数茶碗として出されるグレード下の器もまた、何処でグレードが別れているのかをまずよく見る。その上で、席主の方に伺うとかも、機会があればしました。

 

一見すると、無理矢理意義を見いだそうとしている様に思えるかも知れません。この行為自体に寧ろ「不自然さ」を感じる方もきっと多いはずです。

 

ですが、ちょっと考えてみて下さい。こういう様な「よく見つめる事」って、恋とかしたら自然にしませんか?

好きな相手から来たメッセージやLINEを、一字一句覚えてしまうほど見つめる、何てことは、ある意味自然でしょう。

 

恋は本能から来るものです。少なくとも私はそう信じています。その本能というのが、よく見たいと反応しているから、よく見るんです。

じゃあ逆も良いんでは? というのが私の発想です。よく見ることで、本能レベルまでその観察眼を高める事が出来るのでは無いか、と。

 

そうすれば、別段特殊な職業に就いていなくたって、特別な経験をしていなくたって、色々な事柄に「通ずる」事は出来ます。

半可通になるリスクはありますが、それでも「何も見ない・知らない」状態よりは数段良いでしょう。

その「こだわった意識」でもって、小説を書いていくのです。そうすれば、自ずとそこには、世界観と言えるだけの深みが出てくるでしょう。

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色々な事に意識的になってみるべき。

結局、文筆業を営むというのは、それだけ外界だったりインナーワールドだったりと対象は違ってきますが、

 

「どれだけ緻密に観察をし、それを再構築出来るか」

 

というのが仕事のコアになってくるものだと私は思っています。

世界をしっかり見ていなければ、何だか設定の緩い変な小説しか書けません。歴史物とか書こうとすれば、当然時代考証も押さえなければいけません。

また逆に、ラノベであるならば、どれだけ突飛なところに主人公を置けるか、という別の意味での視点の差が求められる事になろうと思います。

 

何処からがラノベで何処までか、という話は不毛ですので避けます。

それこそ極論してしまえば、『吾輩は猫である』なんて、時代なラノベですよ。

 

今の人々がどういうニーズを持っているか、というのに素早く反応できるようであれば、言い換えればマーケティング戦略が上手く取れるのであれば、ラノベに舵を切るのも良いと思います。

ラノベの世界は入れ替わりと言うか、人気のジャンルがコロコロ変わりますから、下手に普遍性のあるテーマを掲げるとそれだけで足回りが重くなるんですよね。ラノベやるなら機動力です。

 

私の様に、「生と死」が基本的プロトコルの様な頭をしていると、ラノベのスピード感には正直付いていけません。難しいです。

また、メジャーデビューを考えた時にも、スピード感が無いとラノベ作者としてはNGです。どんどん新刊を出せるスピード感と筆力の二輪が揃って初めて、ラノベ作家として世界に羽ばたけるものだ、という話は、色々な「小説家になる系」の本で語り尽くされています。

 

私も今、吉崎歩名義の最初の小説を執筆している真っ最中です。

これについても、上で述べた様に、「まず完結させる事」を第一義として執筆中です。未完の大作ほど無意味なものはありませんからね。

 

書けたら、まずは『小説家になろう』サイトに掲載して、どれくらい「今のニーズ」から私自身が置き去り喰らっているかをダイレクトに試そうと思っています。

何せ、まぁ偏り自体もありますが、『小説家になろう』サイトでは

 

勇者

魔法

チート

 

とか、こんなキーワードばかりが上位ですからね。そこには純文学の欠片も無いようにすら、思えてしまいます。

けれどこれもまた「時代を印象づけている」キーワードたちであって、無視して良い訳ではありません。

時代が勇者や魔法、そしてチートを、求めているんです。書けないのは単に、時代から置き去り喰らっているだけです。

 

敢えて時代に逆行するのも手ではありますが、それならそれだけの「説得力」のある筆が必要です。

要するに、読者「が」寄ってくるのでは無くて、読者「を」鷲掴みに掴み取るだけの、圧倒的パワーです。

それがあれば、新人賞のみならず、芥川賞や直木賞だってきっと、視野に入ってくるはずです。

 

色々述べましたが、最後にもう一度、一番重要な事をリピートして終えたいと思います。

 

必ず最後まで書き上げましょう。

 

 

 

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